セーラームーンの色々なんでもあれやこれ
先週はヤバい修羅場だったので週一更新のブログすら書けませんでした
そんな修羅場を乗り越え週末は台湾セラムンオンリーに行ってきました すっごい元気貰って帰ってきた! そのレポはまた次回ということで 今回はねとらぼさんの「オタクらぼ」で当方をご紹介いただいたので その記事のレポでございます ありがたくもお声をかけていただき取材の回答をしたのですが セラムン愛の全般を簡潔に語ることなど私には不可能なことであり 一応7割くらいの情熱で返答したのですがそれでも訳わからんくらい長い 何だこれは長編小説かオイコラ そんな熱苦しい回答をとても見やすく程よい長さにご調整いただき、記者さんには大変おつかれさまでしたと感謝をお伝えしたいです いやだってさ、どの説明を省略していいかってこちらからはわからないんですよ 「呼吸しています」って一言で言っていいのか、「体に酸素を循環させるために呼吸しています」って言わないと伝わらないのか、その判断は第三者にしていただきたく 荒削りの素材を丸投げするしかなかったてへぺろ! そうして仕上げていただいた記事がこちらです セーラームーンの衣装を200着以上制作 コスプレ歴26年の“ストイックなオタク”を直撃 「セーラームーン研究家という表現が近い」 大変ありがとうございました つづきからはそんな暑苦しいロングロング回答のノーカット版です 暇な人だけみてください ①セーラームーンのファン歴、好きになったきっかけ、セーラームーンを一番魅力に感じること、一番好きなキャラクターを教えてください。 セーラームーンは元々、前番組のきんぎょ注意報を見ていたのがきっかけで、アニメ放送第一回から見始めました。一話目から瞬時に乙女心を射抜かれ、そこから毎週土曜夜七時ジャストに鳴り響く鐘の音でテレビの前に正座して、三十分間手に汗握りセーラームーンたちの活躍を見守っていく生活を五年間続けていきました。 実はセーラースターズ最終回の2/8は自分の誕生日でして、当日はバースデーケーキを食べながら最後の闘いを見た記憶があります。色々ある記念日の中でも、この日は特別思い入れがあったりします。 セーラームーンの魅力は、アニメ放送当時子どもの頃と大人になった後では変化してきています。当時は華麗に変身するうさぎちゃんの変身バンクにときめき、可愛くてカッコいいお姉さん的セーラームーンに強い憧れを抱いていました。また無印最初の妖魔が怖すぎたのもかなり印象的で、自分だったらこんな怖い目に遭いたくない!と半泣きになりながらセーラー戦士たちを応援していました。 大人になってからは敵側の心情にも深く共感していきました。そうするとじわじわと、決してセーラー戦士側が正義というわけではないのだと感じるようになっていきました。 お互いが己の正義を信じ、強い信念を持ち、それをぶつけあっているだけなのだと理解してからは、両者の凛々しさに痺れてより一層作品にのめり込んでいきました。 一番好きなキャラクターは、プリンス・デマンドです。原作と当時アニメでは少し設定が違ってきますが、どちらもネオクイーンセレニティとセーラームーンに立ち向かう、最高にカッコいい敵キャラです。 原作ではネオクイーンセレニティとデマンドは、正に真逆の価値観を持つ者同士。銀水晶の力で地球を長寿社会にした女王に対し「長寿や平和などまやかしだ、老いない体など神への冒涜だ」と立ち向かってくるプリンスの信念は人としてとても理解できます。 永遠を生きる側と刹那を生きる側、分かり合えない両者が三十世紀でたった一度、ほんの一瞬視線を交わし睨み合うシーンはなかよしで初見の際、強烈に脳裏に焼き付いて今も心が囚われたままです。 90年代アニメでは、デマンドはワイズマンの攻撃からセーラームーンを庇って死んでしまうシーンがとても印象的です。実はこれは初期脚本の時点では書いておらず、演出の小坂春女さんが同じくご自身が演出を手掛けた、無印34話セレニティの覚醒の回でタキシード仮面がムーンを庇って倒れてしまうシーンのオマージュとして足してくださったカットです。 アニメは脚本、演出、作画、アフレコ、音楽と、色々な人の解釈が足されて一つの作品になっていく過程が本当に尊くて感動します。 ②セーラームーンを通して主にどんな推し活をしていますか? 昨今はコスプレイヤーとしての活動が際立ってはいますが、実はコスプレも衣装製作もセーラームーンへの愛情表現の一つの手段でしかありません。興味があることは何でも手掛けるのをモットーに、様々なことをしています。ですのでコスプレイヤーというよりは『セーラームーン研究家』と言う名乗りが表現として一番近いなと感じ、おこがましいと思いつつもそう自称しております。 当時からグッズも集め続けていますが奥が深く、色んな商品に目まぐるしい技術の進歩が刻まれていて、その背景を語るにもセーラームーンは欠かせない存在です。 当時アニメの台本分析も面白いです。演出がつく前の脚本を仕入れ、解釈が足されていく過程を調べると新しい発見があちこちに散りばめられていて痺れます。 キャラクター設定資料には、原画サイドから監督へ向けたメッセージなども要所に書いてあり、私服一着を見ても同じ作画監督さんの違う回でうさぎちゃんの水着の色違いをミメットが着ていたり、美奈子ちゃんがうさぎちゃんの私服を着ていたりして、制作サイドの遊び心が感じられわくわくさせられます。 また声楽を嗜んでいた経歴から、バンダイミュージカルからアニソンまで約七十曲の課題曲を毎月、カラオケで熱唱し受け継いでいく使命を勝手に燃やしております。 コスプレに関しては、ポージングのイメトレ、表情の作り方や全身から滲み出るようなキャラらしい演技の仕方などを日々分析しております。 衣装製作は等身大の資料として飾れるのを目標に、生地の質感から三次元にしたときの立体感やバランスなど、自分なりの解釈を叩きこんで一着一着仕上げています。うさぎちゃんの私服を再現し、いつかうさぎちゃんの部屋を我が家に作った際には、クローゼットにズラッと私服の数々を飾るのを最終目標にしています。 これら様々なセラ活のいくつかを日々のルーティンに組み込んで、一週間の生活のリズムを推し活を主軸にして整えていくのが私の日常です。三十年以上続けている健康法にもなりました。 ・セーラームーンのコスプレ歴は 1998年から変身を始め、気が付けば26年という月日が経っていました。四半世紀の間セーラー戦士に変身真っ最中ですが、三十世紀の未来にはまだまだ及びません。 ・今までコスプレしたことがあるセーラームーンのキャラは 太陽系戦士を全員から、敵キャラ、他、たくさん手掛けてきたので全て書き出すのは難しいのですが、30-40キャラくらい?でしょうか。(衣装バージョンの違いはカウントせず) 人生最後のコスプレは既に決めております。この身を焼かれた後の骨壺に、黒い布を被せワイズマンになって成仏する算段を立てています。 ・一番お気に入りのコスチュームは 一番は何と言ってもセーラー戦士の戦士服です。子ども時代にセーラー戦士へ強い憧れを抱き、いつか華麗にメイクアップしたいと高い目標を掲げてコツコツと26年間、約200着以上の戦士服を制作し、ラインの研究を続けて参りました。 中でもエターナルセーラームーンは肩の球体部分や羽の部分、三枚構造のスカートのバランスを取るのが難しく、ずっと課題にしていた一着でした。去年劇場版コスモスの上映をきっかけに、しっかり向き合い制作したエタムン衣装が長年技術を積み重ねようやく作れた結晶のように見え、特に思い出深い一着です。 ・コスチューム制作においてのこだわりポイントと、これはお金かけたなあという衣装と金額は コスプレの衣装製作で特に意識しているのは、二次元を三次元にしたときの矛盾点をどうやって穴埋めするか、です。 人間には厚みがあり、手足の長さも腰の位置も二次元のキャラとは違います。衣装の構造に関しても、そのまま再現することは難しい時もあります。それを如何に自然に、あたかも二次元のキャラが三次元に存在しているかのような立体衣装に仕上げるかが、制作においての醍醐味だなあと思います。 衣装の色味や質感なども一枚のイラストから分析して生地を探しに行きます。直子先生の戦士服の上品な艶感を出せる種類のサテンを探し回ってみたり、また色に関してはイメージ通りの物が見つからない場合は、生地を家で煮て染めることもあります。色味の立体感を出すために、絵の具の色を混ぜる感覚で二種類の生地を重ねてみたりもします。 そうやって色々と足し続けていくと、どこもかしこもゴテゴテしいものになってしまうので、足し算だけではなく引き算もするように心掛けています。際立たせたい部分と抑える部分を調整し、全体のバランスを整えていきます。 拘りポイントの一例をあげさせていただくと、例えば十番中学の制服はシンプルに見えて体のバランスを取るのが難しいです。スカート丈が長めではあるのですが、膝を隠してしまうと途端に足が短く見えてしまうので、上着の丈を短くし腰の位置を上げて、膝を見せつつ丈の長さもキープしたりします。 戦士服はプリーツの方向が、前からも後ろからも段々ラインに見えるよう、真横で方向を折り返しています。 原作版セーラームーンの衣装は、リボンの色が独特なので濃いピンク色の生地を赤の染料で染め直し、ピンクの中に赤みを足してみました。 エターナルセーラームーンの羽は一枚ずつ、ジャガード生地をキルトで立体にして銀の糸で縁取りをし、約170枚をひたすら縫い付けてあります。 セレニティ衣装は色味やパーツの解釈を変えると無限に作り続けていくことができます。胸元の装飾はオール手縫い、時には模様を刺繍することもあります。スカートは裾広がりのボリュームを見せつつも脚は透かせたいので、約80mの透明感抜群なグラスオーガンジーで内側を膨らませたりします。裾のなみなみ感を表現する為に、ウェーブ巻きロック機能の付いた専用のロックミシンも購入しました。 生地一つパーツ一つにまで拘っていくと、どんな衣装も数万単位の材料費にはなってしまうのですが、中でもやはりセレニティのドレスは布量が100mを超えることがざらなので、軽く見積もっても生地代だけで8万~10万くらいの金額にはなってきます。 ・撮影のこだわり、苦労することは コスプレの作品作りの面白いところは、一人では作れない部分だなと思っています。モデルの衣装とポージングで表現するキャラの解釈に、カメラマンさんのライティングや構図の撮り方などの解釈が足され作品が出来上がっていく様子は正に、色んな人の仕事が積み上がり仕上がっていくアニメ制作現場のようでとても滾ります。 完成度の高い作品を仕上げるために自分ができることは、被写体として隙のない素材を提供することだと思っています。その為には日ごろからキャラの分析は勿論、ポージングのイメトレも大事になってきます。しなやかなセーラー戦士のポージングを表現する為にジムでストレッチを欠かさず続け体の柔軟性をキープしたり、背筋を鍛える筋トレをしたりもしています。 撮影当日も、カメラを向けられている時は360度全てどこから撮られてもキャラであるよう常に意識し集中しています。ガレージキットのような切り取られた躍動感のあるポージングが好きなので、大抵髪の毛を飛ばしたりスカートを投げたり、ジャンプしたりくるくる回ったりしています。 お気に入りの一枚が撮れるまで粘り、何度もチャレンジしてこれだ!という一枚が撮れた時の達成感と満足感はたまりません。 ③これは自慢できる!というコスプレイヤー的セーラームーンオタクとしてのエピソードがあれば教えてください! 我が家には二階にセラムングッズを詰め込んでいるグッズ部屋があるのですが、ある日ドア付近に置いてあったセーラームーンのキャンバスが落下して、ものの見事にドアを内側から塞いでしまった事がありました。 廊下からはどう足掻いてもびくともせず。途方に暮れつつも考え出した方法は『二階のベランダから部屋に踏み込む』事でした。 しかし脚立がなければベランダまでは上がれず、この為だけに購入するのは現実的ではないと悩んだ結果、いっそ梯子を作ってしまえばいいと言う案が浮上したのです。 自作派コスプレイヤーにおいて『無ければ作る』のはよくあることであり、この方法は割とすんなり受け入れられました。 我が家では小物やロッドなどの造形は家族が担当して作っているので、そこからすぐ家族一丸となって『グッズ部屋の奪還作戦』を決行することに。材料の木材と番線を購入してきた後、数時間で梯子を作り上げ、ベランダに無事上がり、ドアのカギを開け、見事部屋を開放することに成功しました。 あの時ほどコスプレイヤーで良かったと思ったことはありません。 【事件です】セラムン部屋に入れなくなった! ④セーラームーンのコスプレや衣装作りをしている上で貴重な体験はありましたか?もしくは嬉しかった体験などあれば教えてください 一生に一度の幸運だったなと思うのは、マリアローザさんのウェディングドレスのフォトプランのモニターでお声をかけていただいた事です。 セレニティモデルとセーラームーン(内部)モデルとルナモデルのドレスを着させていただきました。デザイナーさんに大変だった制作秘話を伺ったり、ドレスの構造を細かく拝見させていただいたり、我が家からセレニティで使った生地を持ってきて質感を比べてみたり、とにかくすごいことが現実で起きていた一日でした。 貴重な体験をさせていただき、本当にありがたかったです。 LittleMartha セーラームーンウェディングフォト体験レポ ⑤セーラームーンを推すことはうさこさんにとってどんな意味がありますか? セーラームーンは、私の心の中に深く根付いた巨木のような存在です。30年かけて成長していき、芯がブレず胸の中にあり続けるので、安心して寄り添っていられます。 様々な価値観を持った個性的なキャラクターが輝いていて、その心強さに助けられたおかげで、自分の好きを殺さずここまで歩んで来れた気がします。 思い返せば子どもの頃からセーラームーンと共に色んな時代を見てきました。そして要所で他人から、色々な見られ方をされてきました。 時代にはそぐわないと批判されたり笑われたことも多々あり。「まだセーラームーンが好きなの?」「オタクキモイ」などは私のごく普通の日常でした。結婚して出産した後は「親になってもまだコスプレしていて母親失格」と言われたこともありました。 『推し活』と言う言葉が普及し、価値観の多様性が認められてきた昨今では、どちらかと言うと『励みになる』など、お褒めいただくことが増えてきた気がします。 私自身当時から何一つやっていることは変わっていないと思っているのですが、時代によって周りの反応が変化していくのは興味深かったです。そしてそんな30年を振り返ってみると、他人の評価などその時々でほんの一瞬過ぎ去っていく、ただの景色だったなあと感じることができます。 それを思うと直子先生がセーラームーンを連載していた当時はもっと、周りの目が大変だったのではないかと推測してしまいます。 2022年のwith5月号の先生のインタビューで 「自分に正直に自分中心に何より自分を大事にして自由に生きるべきで、そこに喜びが生まれると強さも生まれます。その後に、余裕があれば人を思いやり人のためにがんばればよいのです」 というお言葉を拝見した時、正に作品からそれを伝えられ、私の人生の教えになっていたのだなと妙に腑に落ちました。 どんな時代も自分だけを見つめ、自分らしくピッと凛々しく歩んでいきたいです。 個人的に何事も継続が大事であると思っています。根気よく続けていけば向上していき達成感を感じられ、自分にどんどん自信が持てるのだと信じています。 それを続けていくには常に『ときめき』が必要であり、それを30年以上色褪せず、私に与えてくれるセーラームーンに出会えて感謝しかありません。 私の人生最大のセラ活でありセレモニーはお葬式です。人生を共に歩んできたセーラームーンと別れるその日を切なくも清々しく迎えるために、これからも尚一層推し活に励んでいかねばと思います。 そこまで無事に行き着くにはと逆算すれば、今やらなければならないことに自ずと気づかされます。三次元の生活の基盤をしっかりさせ、家族の健康を何よりも大切に、その根底があってやっと、楽しい推し活ができるのだと思っています。 これからも心身ともに健康に、楽しく活動していきたい所存です。 |
カテゴリー
カレンダー
ブログ内検索
アーカイブ
|